※2部突入後。
それはいつもと変わらぬ食堂でカウンター越しに行われた会話だった。アーチャーのエミヤに「明々後日の日曜は、朝食にゆで卵を。昼と夜の前菜にデビルドエッグ、そして夕食にラムローストを頼みたいのだが、可能かな?」なんて注文を、気障に言い放つバーソロミュー・ロバーツをたまたま見かけた。それに対して食堂の支配者は一瞬不思議そうな表情を浮かべたが、すぐに合点が行ったのだろう。あの伊達男に、「了承した」と実に気前のいい返事をしていた。何故にゆで卵。何故にデビルドエッグ。何故にわざわざラムロースト。牛だっていーじゃん、と粒マスタードのきいたウィンナーを噛み締めれば、咥内に溢れて満ちる肉汁と脂の甘味が酸味と絡み合って実に美味だった。特に前半に関してはコロンブスでもあるまいし、と不審も含めた疑問を抱いて視線をカレンダーに遣ってから、漸く黒髭ことエドワード・ティーチはなるほど、と朝食のトーストを齧って納得する。嗚呼、イースターか、と。
イースターとは、キリスト教では重要な祝日だ。というのも、イエス・キリストの復活を祝う日だからである。ホリーサースデー、グッドフライデー、イースターサンデー、イースターマンデーという、土曜も含めた五日間がイースターを祝う日だ。そして今日はそのホリーサースデーにあたる木曜日である。であるならば、敬虔なクリスチャンであるバーソロミューは当然、この五日間のイースターを祝うのだろう。なにせイースターは、クリスマス(生誕祭)と同じくらいに重要なイベントだからだ。尤も、それは他の信徒も同じなのだろう。もしかしたら自分が見ていないだけで、バーソロミューと同じ注文をエミヤにしていたのかもしれない。知らないけれども。
カトリックもプロテスタントも、聖公会も東方教会も。イースターは皆が祝う一大イベントだ。この期間、変わらぬ生活で過ごすのは信徒でない者たちだけだろう。尚、生まれはプロテスタントの地である英国だが、神など知るかと天に唾を吐き中指を立てる程度は朝飯前な己にとってはあまり興味のないイベントでもある。せいぜいこの時期限定の兎のグッズを見てバニーちゃん可愛い、程度の感想を抱くくらいか。本音を言えば、ツルペタな美少女が兎の耳を生やして下さるだけで垂涎ものなのだが、そのあたりはまあ、よほどのトンチキ事象が生まれない限りは期間限定でも拝むことは不可能だろう。おお、ガッディム。某女神ズとか、例を上げるなら何人でも美少女はカルデアに居る。だからそんな生足の眩しい少女たちに土下座してでもお願いしたいのに、恐らくは確実に阻まれるだろう現実が見えているのもつらかった。蔑むような眼で見られても良い。否、見られたい。うさ耳つけた彼女たちにゴミムシを見るような眼で見降ろされたい。ピン、と耳が立っていなくても良い。ロップイヤーのような垂れ耳も最高だ。そんなことを思うだけならばタダである。あとはそれが相手にバレなければ何も問題は無い。自分も痛い思いをしなくて済む。無問題、である。多分。
(耳が許されるなら、一緒に尻尾も欲しいですなぁ……)
ペロ、と指先に付いたパンくずを舐め取る。香ばしいそれは先程まで齧っていたパンの仄かな小麦の甘さを思い出させた。もう一個、貰ってこようか。そんなことをぼんやりと思いながら温かい珈琲を啜る。映画のような窓から差し込む柔らかな木漏れ日と小鳥のさえずりは無いが、それでも黒髭にとっては実に優雅な朝だった。少なくとも、砲弾の着弾音や船の破砕音で目覚める朝からは程遠い。海軍連中の怒声も部下たちの悲鳴も聞こえない、生前とは異なる時間だった。
人理を取り戻すための戦いに参加しているとはいえ、戦闘にならなければこの場所は比較的平和な日常が送れてしまうという、不思議なところである。少なくとも通常の聖杯戦争では有り得ないのではないだろうか。そもそもこんなにも大勢の英霊を一人のマスターが召喚しない、という時点で大分通常からはかけ離れているのだが、それ以外にもこのカルデア特有と言って良いのが、この穏やかな空気だ。無論、緊急時はピリピリとした緊張感が走るが、それでも殺伐としたものは殆どない。常に死と隣り合わせ、という訳でもない。こんな召喚はもう二度とないだろう。そう考えると、この一瞬一瞬を楽しまなければ損だ、と考えてしまうのが享楽主義者である己にとっては当然の思考と言えた。
「あ、バーソロミュー。今日のレイシフト、手伝ってくれるかな?」
不意に聞こえた声でぼんやりと稼働していた思考が暫し中断される。視線をそちらに遣れば、少し遅めの朝食を乗せたトレイを持ったマスターである青年が、あの美丈夫に声を掛けているところだった。男はにこやかに勿論、と答えたあと、彼の後輩でありデミ・サーヴァントであるマシュ・キリエライトがそのレイシフトに同行するのかどうかを訊ねた。青年の笑顔が困ったようなものに少しだけ変わる。マスターとして慣れたものであっても、やはり多少なりとも思うところはあるらしい。あのメカクレマニアめ。バレンタインの一件で知ってはいたが、どこまで己の趣味を押し通す気なのか、と思わず半眼になってしまったのは当然のことだろう。嗚呼、パンよりも珈琲の方が良いかもしれない。本音を言えばラム酒が良いのだが、朝から酒は子どもたちの教育に悪いと思う程度の分別はある。尤も、此処に居る子どもたちは皆サーヴァントである為に、教育も何もないのだ、と言われてしまえばそれまでだったりもするのだが、それでもまだ子ども好きを自称する手前、悪影響のあることはあまりしたくないのである。それがたとえ表面上のことだけであるとしても。
「あ、黒髭! 黒髭にもレイシフトしてほしいんだけど」
「ええー。拙者もなんで? 可愛い美少女も居るなら考えまつけどー」
「分かった。じゃあ、ドレイクに声掛けてくる」
「待った! BBAは卑怯でござるぞマスター!!」
あの男と共にレイシフトはしなくてもいいだろう。戦力的に。そんなことを思って、からかい半分に却下されるだろうことを舌に乗せれば、真顔で頷き己を断頭台へと送る提案を青年はしてきた。結果は言わずもがな。己はそれに慌てて待ったを掛ける羽目になった。なんたることだ。アッハ、と吹き出して笑う青年に悪気は無いのだろう。結局、此方がからかわれたようだった。しかし、あそこで止めなければ確実にあのマスターはフランシス・ドレイクに声を掛けに行っていた筈なので、ここで止めて正解ではあったのだ。ナイス判断。平時よりも少し早くなった心音を抑えようと深呼吸をして、底の見え始めたカップに残っていた珈琲を飲み干せば、多少なりとも落ち着いたような気がする。運動もしていないのに、朝から駄目な意味で心臓が痛くなった。
(子どもでも年単位で付き合いがあれば、多少はこっちの扱い方も覚えるってヤツか)
覚えなくても良いことまで、と内心舌打ちすれども、それは此方も同じである。故にお互いさまであることは理解できているのだが、少しばかり面白くない。あの、召喚当初の拙い子どもの様子を肴に酒を飲むのもそれなりに楽しかったのに。まあ、二十歳を過ぎた青年に言うべきことではないが。
「じゃあ、宜しく黒髭」
「へーへー」
おざなりに返事をしても、子どもだった青年は酷く楽しそうだ。彼にとってはこれも「いつもの日常」の一部なのだろう。けれども、新人であるバーソロミューは此方の様子を、少し眉を寄せて見ていた。仮にもマスター相手に不遜とでも思ったのだろうか。下らない。あの男にだって、忠義なんてものは小指の先ほどもありもしないだろうに。
(嘘でも態度には出すなって?)
それこそ、相手に向けている信頼への冒涜である。大仰に息を吐き出したくなる気持ちをぐ、と堪えた。嗚呼、やはり珈琲をもう一杯貰って来よう。そして、この喉のあたりに貼り付いた不快感を綺麗さっぱり胃の腑まで流してしまうのである。それが精神衛生的に一番良い。
「……。」
そんなことを、数時間前まで考えていた。眼前に広がる大海は懐かしきカリブではなく、赤道直下のギニア湾だ。太陽光を反射する水面は揺らめき、そこを己の船が無情に切り裂いていく。風の調子はまだ良い。嵐の気配はない。もしかしたら嵐の前の静けさなのかもしれないが、そんなことは知ったことではない。故にこのままであれば、問題なく目的地へと着くだろう。口笛の一つも吹きたくなるような、穏やかな海だった。けれどもそれは今の状況を考えれば、些か不謹慎だろう。黒髭とてたまには空気くらい読むのである。甲板にはマスターである青年が同乗していた。青年の表情は普段と比べて硬い。それはそうだろう。これは普段行っているレイシフトではない。有体に言えば夢の中と呼ばれる、英霊の記録が詰まった心象世界だ。そして、この海全てがバーソロミューのそれなのだそうだ。
ぼり、と舵取りをしながら後頭部を掻く。どうしてこうなった、と問われれば、ほんの二時間ほど前まで話は遡る。いつも通りに青年に誘われるがままにレイシフトを行ったのだ。目的は食料調達だった。それで適当な時代に向かい、船の上で魚を釣りつつワイバーンを探していたときにそれは起こった。己の船を見慣れぬ船だからとちょっかいを掛けてきた馬鹿が居たのである。まあ、それはまだ良い。このジョリー・ロジャー(海賊旗)が見えないのか、とは問い質したいものだが、それも些細なことだ。問題ではない。そのあと、喧嘩を吹っ掛けた相手は誰なのかを分からせるために、黒髭が直々に笑顔で沈めたからである。そう、だからちょっかいそのものは問題ではなかったのだ。問題なのは、その馬鹿がちょっかいを掛ける手段として問答無用でぶどう弾を放ってきたことである。つまり、バーソロミューにとってはトラウマの再来だ。運がない。バーソロミューは一通り叫んだあと、ばったりと昏倒した。サーヴァントなのに昏倒とは。バレンタインで騒動を起こした劇薬も口にしてはいないのに。そう詰ったところで結果など変わらない。結局、慌ててレイシフトを切り上げ、青年は道案内役として自分を巻き込んで、今度はバーソロミューの意識に沈むという荒業を行う羽目になったのだ。そして現在、青年の判断は正しかった、と思いながら己の船を走らせているという次第である。海に船もないままにダイブするなんて、無謀以外の何物でもないだろう。恐らく海に出るだろう、という青年の予想はその通りになったという訳だ。とは言え、海は広い。無事目的が見つかればいいのだが。そんなことを思っていれば、天の采配と言うべきか。フランス国旗を揺らしながらロペス岬(現ガボン)沖へと向かう商船が前方を航海していた。
(……商船?)
聖杯からの知識によると確か、バーソロミューはチャロナー・オウグルの英国軍艦「HMSスワロー」と砲撃戦を行い、その結果死んだのではなかったか。しかも、そのときオウグルはわざわざフランス国旗を掲げて商船を装って近付いたのではなかったか。
「マスター」
声を掛ければ何かを察したのだろう。青年の表情が一気に引き締まった。こういうときの切り替えが早いのは彼の美徳だ。此方も余計な手間が省けて助かる。
「多分アレがあの馬鹿を殺した元凶でござるが……此処でプチッとしとく? 拙者としては、それが一番楽だと思うでごじゃる」
「……いや。それよりも、バーソロミューのところに。それで援護が一番良い気がする」
軽口を叩くように提案をすれば、青年が緩く首を振った。なるほど、それならば速度を上げて行こう。なにせマスターの指示だ。それに従わなかったならサーヴァントの名折れである。幸い、あの船の往く方向がバーソロミューのロイヤル・フォーチュンがあるのだろうから、此方も目的地がはっきりとした。であるならば、あとはあの船よりも先に目的地に着けば良いだけだ。嫌がらせで砲弾を一発喰わせてやりたいと思わないでもないが、それでも今は彼の意志を尊重しよう。風の向きもまだ良い。このままならば、なんとかなるかもしれない。幸運EではなくCである為、いつも己に吹く風が良いものであるとは限らないのだが、今回ばかりは珍しく女神が微笑んだようだ。そのまま微笑んでついでにキッスをしてくれ。そんなことを内心でほざきながら、ク、と口角を上げて黒髭は大きく舵を切った。
ドン、という大きな音が上がった。砲弾の射程圏内にある船の動きは鈍い。それはそうだ。船員の半分以上が酔っ払っているらしく、まともに使えない状況なのだから。そこを突けたオウグルは運が良かったと言って良いのだろう。もし船員がそんな状態でなかったならば、砲弾の射程圏内まで船を近付けることは出来なかったに違いない。
(まあ、それでも今回はそうは簡単にさせねえけどな)
主にマスターの意志で。とは言っても、結局此方も結局先回りは出来なかった。けれども開戦には間に合ったようだった。ドン、ドン、とあたり一帯の空気を震わせ、砲弾が火を吹く度に怒号と悲鳴が入り混じったものが聞こえてくる。何度か見たことがあるどころか経験もしているというのに、青年の表情が再び硬くなっていた。それでも眼を逸らさず、泣き言一つ洩らさないのは大したものだ。その勇気に免じて微かに震える拳を見なかったことにしておこう。
「おい、マスター。船を寄せるから、乗り込むぞ」
そう端的に言えば、分かった、とだけ返ってくる。それで良い。此処まで来て余計な言葉は不要だ。ロイヤル・フォーチュンまで距離はまだあるが、これ以上近付いて敵として認識されるのも面倒だ。青年を抱えて跳ぶには距離があり過ぎる。アステカ神話のケツァル・コアトルの召喚するケツァルコアトルスが居たなら飛んでいくという手段もあったが、それはそれで良い的だ。却下である。そうなると小舟で近付くか、ギリギリまで近付いて縄を使って乗り移る、が妥当だろう。砲弾の雨の中を、というのは危険極まり無いが、小舟であってもそれは変わらないのだ。それならば、より早い手段を取るべきである。そうさっさと結論付けて黒髭は船を寄せると、青年を抱えて縄を投げた。あとはターザンよろしく移動するだけだ。近くに落ちた砲弾が水しぶきを立てる。その間を縫って乗り移れば、たまたま傍にいたロイヤル・フォーチュンの船員がぎょ、と眼を見開いた。それはそうだろう。英国海軍に襲われている最中に、別方向から見ず知らずの人間が二人も乗り込んできたのだ。新たな敵と思われても仕方ない。とは言え、誤解を解いたりなんだりに付き合っている余裕はない。銃口を真っ直ぐ向けて歯を剥く。
「おい、テメエ。死にたくねえなら騒ぐな。下手にしなきゃ、殺さねえよ」
「ヒ、」
「それよりあっちの方をどうにかしな。こっちに構ってる余裕なんざねえ筈だろ。なぁ?」
オマケのように殺意を叩き込んで脅したせいだろうか。船員はまだアルコールが回っているようで、ふらつきながら持ち場へと向かって行った。これで良い。少なくとも、今は。
(嗚呼、懐かしい)
硝煙の臭い。木片が砕ける音。帆が引き裂かれる様。慌ただしく走る人々。時折踏まれて揺れる死体。聴覚が麻痺する感覚。嗚呼、嗚呼、懐かしい。地獄の縮図だ、此処は。血で濡れた甲板に眼を遣れば、まだバーソロミューは生きているらしく、大砲の傍に立っていた。けれども、それの時間の問題だろう。史実通りならば、このあとあの男はぶどう弾に喉を貫かれて絶命するからだ。
「――さて、行くぞマスター」
×××
見慣れた光景だった。何度も繰り返した時間だった。いつだってそのときは自分の船が襲われ、砲弾が雨あられと降り注ぎ、やがてその中の一発で自分は死ぬのだ。それが事実であり、変えようのない事象だった。延々と繰り返すそれは壊れた蓄音機のようで、しかし体験である為にどこまでもリアルなものである。あのときの海の臭いも。空の色も。肌を濡らす汗と血の不快さも。部下たちの悲鳴も。全部、全部、覚えている。これは、罰なのだろうか。そんなことを、ひっそりと冷静な部分が思う。好き勝手生きた報いと言うのだろうか。分からない。分からなかった。
ふ、と視線を上げれば砲弾がまた落ちてきているのが見えた。その内、自分は部下の悲鳴を聞きながら甲板に落ちるのだろう。いつものことだ。そうやって死んだときの記憶をいついつまでも繰り返している。自虐趣味など全くないのに、いつだってこんなことを繰り返している。
(悔いているのか? 海賊だったことを?)
そう自問し、否、と即座に結論付ける。結果としては、そうでなければ生きられなかったのだとしても、それを決めたのは自分自身だ。それだけは他者に強要されたものではないのである。そう、だからこそ結末がどれだけ惨たらしいものだったとしても、受け入れた。他者から奪い、奪い尽くしたものはやがて自分も誰かに奪われるのである。それこそ、宝であれ、己の命であれ。
(とはいえ、まあ、トラウマにはなったのだが)
これも仕方のないことだ、と諦めるのは何度目なのか。最早数えることすら放棄したために分からないことである。ぎゃあ、とまた近くで部下が悲鳴を上げた。この声が聞こえたなら、自分がこの甲板に立っているのももうそろそろ終わりだろう。今回もまた、あの弾に喉を貫かれて終わる。さほど長く苦しまなかったし、見せしめとして処刑もされなかったことを考えれば、海賊としては上出来な死だった。少なくとも、黒髭やウィリアム・キッドのような見世物にはならなかった。それだけは、本当に部下たちに感謝している。
(さて、そろそろか)
最後の祈りでもしておこう。そう思って首から下げたロザリオを握った時だった。視界が黒一色に染まる。こんなことは、今まで一度だってなかった。
「な、……!?」
「――よお。まだ生きてたかよ黒男爵(ブラック・バート)」
視界を覆ったのは、大柄な男の背中だった。黒だと思ったそれは男の濃紫色に染められたコートだった。嗚呼、この、聞き慣れた、声、は。
「何故、貴様が……」
「んなこと、マスターに聞け。俺の意志じゃねえ」
驚きのあまり、声が掠れた。それでも律儀に答えたあたりは、マスターが近くに居るからか。マスター? そうだ、自分はサーヴァントだ。だからこんなことを何度も繰り返していたのだ。映画のワンシーンのように。何度も。何度も。嗚呼、で、も。
(こんなもしも、があるのか……)
男の表情は逆光であることも相まって覗き見ることは出来ない。それでも、何故だろうか。生涯一度も邂逅しなかった男が眼前に居る。己の傍に、居る。それだけで妙に心が躍った。こんなところで死んでいる場合ではない。そう、思わされたのだ。十字架に伸ばしていた手が、気付けば代わりに愛銃を握っていた。ク、と男の嗤う気配がする。それだけで何かが満たされたような、気がした。
「……、」
気付けばそこはあの海ではなく、己の船でもなく、見慣れたノウム・カルデアの白い天井が見えるベッドの上だった。眠っていた、という感覚は無かったが、横たわっている現状から、眠っていたのだろう、とは思う。ぼんやりとする頭は妙に重い。けれども、それはただの疲労からだろう。心地良い倦怠感からは程遠いが、それでも心の何処かにあった重しが少しばかりなくなったような感覚だけはあった。
(そうだ……マスター。彼に、一言礼だけは言わなければ)
ただの記憶を繰り返すだけの夢に、恐らく彼は潜り込んでくれたのだろう。ならば、会わなければならない。そこで言う言葉などあまり多くは思いつかないが、それでも彼は助けに来てくれたのだ。ついでに経緯も聞いておきたくなり自室を出れば、珍しくヒトが廊下に居なかった。時間が遅いのだろうか。きちんと確認をすればよかった、と思いながら一人廊下を歩いていれば、角を曲がったところで黒髭と遭遇した。あ、と思わず声が漏れる。黒髭は不機嫌そうに眉を寄せ、舌打ちせんばかりの雰囲気を隠すことなく此方を見下ろした。
「お前は……」
そう言ったところで、言葉が続かなかった。お前は。そのあとに今自分は何を言おうとしたのか。分からず困惑していれば、はあ、と何故か黒髭が溜息を吐いた。大柄な身体を大袈裟に竦めて見せたところが余計に腹立たしい。
「ところで今日が何曜日か知ってまつか?」
「は?」
そう問われて時間どころか日付すら確認していなかったことを思い出した。失策だ。失策過ぎる。やってしまった、というのが顔に出てしまったのか、今度は黒髭が呆れたように鼻を鳴らした。ほおん、と零すそれには此方を小馬鹿にする気配すらあった。
「復活オメデトウ、イエス気取りめ」
男は一言そう毒吐き、そのまま通り過ぎて行った。廊下に残されたのは自分だけである。イエス気取り? 一体なんのことだろうか。取り敢えず、日付と時間だけは確認しなければ、と思ってあの海に出る前の記憶を手繰り寄せる。そして、漸くあの日はホリーサースデーだったことを思い出した。彼の言動から推察したことが間違っていないのであれば、今日はイースターサンデーなのだろう。
(しかし、本当にヒトが居ないな……)
今からきちんと自室に戻って時間を確認するが、もしかして、もしかしなくても夜遅いのではないだろうか。それならば、朝になってからマスターのところに行った方が良いだろう。そう考えてから、ふと疑問が生じた。ならば、何故黒髭は居たのだろうか。サーヴァントに食事も睡眠も不要であるが、それでもマスターの負担を考慮して生前と同じようにそれらを行う者は多い。そして、黒髭もそれは行っている。まあ、多少夜更かしをしたりなんだりはしているのだが。つまり、基本的に夜遅くに出歩くことはあまりないのだ。それなのに、自分とこんなときに遭遇するというのだろうか。偶然にしても、珍しいことである。
(まあ、イースターサンデーだしね)
聖なる日だ。もしかしたら、こんなこともあるのかもしれない。バーソロミューは少しばかり軽くなった足取りで、自室へと向かった。
bh20190515
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